究極の猛稽古としてますます盛んな「立ち切り」。
秋田・湯沢では20回目を迎えた。

立ち切りといえば荒稽古の代名詞のようなもので、
かつて山岡鉄舟門下では朝の6時から昼食休憩をはさんで夕方5時を過ぎるまでの立ち切りを、
3日間続けたという有名な話がある
(鉄舟自身は7日間行ない、門人の目標も7日間だった)。
昔の剣術家の修行はなんと苛烈であったことだろう。
量的には到底及ばないものの、その精神だけでも学ぼうと、
昭和50年代ごろから各地で立ち切りが取り入れられるようになってきた。
地域や道場で立ち切りを行なうようになった嚆矢としては
茨城の(財)勝田若葉会主催によるものが早く、第1回は昭和44年。
もちろん鉄舟の故事に習って始められた。
それを参考にして秋田県の湯沢雄勝剣連、
静岡県剣連で立ち切りが行なわれるようになったのが昭和50年代のことである。
警視庁では故・小川忠太郎範士によって取り入れられ、
「相がかり」による1時間半の立ち切りを不定期に行なっている(昨年6月号で紹介した)。
大学の「追い出し稽古」などでも立ち切りを取り入れているところがあり、
道場の行事として行なう例もよく耳にするようになった。
秋田・湯沢雄勝剣道連盟の立切試合は、今年で20回目の節目を迎えた。
その模様は61ページで紹介したが、
元立ち(基立)剣士の1人である東海林一義選手を支えた家族から、
本誌「だんわ室」あてに感想文をいただいた。
どんな心身の構えで立ち切りに挑んだのかが、そして本人だけでなくそれを支えた家族にも
大いに得るものがあったということが伝わってくる感動的なお手紙で、
いま立ち切りにに挑戦するということはどういう意味があるのか、
というようなことまで示唆するような内容なので、特別にこのページで紹介させていただくことにする。
10時25分、試合開始と同時に私の目に涙があふれてきました。―――3時間立切試合。
1年前基立選手に決定してからは、家族も戦いの毎日でした。
時間的に不規則な仕事がら、早朝や深夜のランニングやトレーニング、日々の稽古。
忙しさに予定通り稽古ができないことも少なくありませんでした。
加えて、栄養・食事関係の専門書を読み、ビタミン類やタンパク質を重視した食事調整・・・・・・。
特に試合1週間前からのグリコーゲン・ローディングでは、高タンパク質・高脂肪・低炭水化物の食事となり、
本人の意識も高揚し、いよいよ数日前からは熟睡できない夜を共に過ごしました。
試合当日までには、本当にたくさんの方達から貴重な体験談やアドバイスをいただき、
身体的な面からも精神的な面からもとても助けられたようです。
また、直前にいただいたあたたかい激励のお言葉や試合会場の垂れ幕の数々。
―――いろいろな想いや感謝の気持ちが入り交じって言葉にならず、試合開始と同時に胸に込み上げてきました。
この1年間は、剣道を通して、私たち家族が育てられ、
そして周囲の方達との結びつきも一層強いものにしたようです。
おかげ様で、無事3時間を立ち切り、思ってもいなかった優勝という成績まで得られたことは、
本人の努力もさることながら、熱い声援をおくってくださった皆様方のおかげであると感謝の気持ちで一杯です。
この場を借りてお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。 ―――東海林駒美子
かつての本誌上で、立ち切りを経験した方々に効果を語っていただいたことがある。
疲れを通り越したところで、「無心」の状態になれる、自分を切り捨てることを知った、
相手の起こりや出ばな、崩れが見えるようになってくる、無駄のない打突動作ができてくる・・・・・・などなど。
そして困難なことに挑戦してやり遂げたことにより得られる自信も大きいようだ。
スポーツに関する科学的な知識が広まり、その立場からはむしろ苛烈な稽古の危険性も指摘されるのだが、
科学では推し量れない、それを超えた魅力や効果が、こういった伝統的な稽古法にはあり、大きな感動もある。
もちろん充分な準備と注意は必要だが、こういう時代だからこそぜひ各地で続けていただきたいと思う。
【たのもうや@武道具店】 seiko write